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ビゴのテキストが少々おいてあります。(ロジャドロ中心です) 原作者様・制作会社様とは一切関係はありません。
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好きシーンで創作30題 『28 寄り添う』 ロジャドロです。
*こちらからお借りしました → 好きシーンで創作30題

 
登場人物はひとりの女とひとりの男だけ。ふたりの対話の間に、簡潔に示された仕草や沈黙やまなざしや叫び。海のそばにあるヴィラ、冬の日、記憶の中のワルツ。
掃除の途中、ドロシーが本棚の隅から見つけ出したのは、古びた一冊の戯曲本だった。埃をかぶり、表紙は色褪せて外れかけ、ほとんど題も読めないほどだったが、ページをめくればすぐにわかった。登場人物の女性の名がそのまま題になっていた。

彼が彼女の申し出に応じたのは、特に断る理由もなかったからだ。
怒涛のように忙しかった仕事が一昨日終わり、しばらくは差し迫った用事もなく、新たな依頼さえなければ当分は全くの自由の身なのだ。有能な執事と彼女のおかげで書類の整理も終わっていたし、睡眠は昨日頭痛が起きるほど取ってしまったし、恋人とは先日別れてしまったし、ドロシーは演劇を実際見たことがなく知りたいというが新聞をチェックしても興味をひく公演も今はやっていないし、外はひどく雨が降っていて出かける気にもなれないし。
つまるところ、彼はとても暇だったのだ。
そういうわけで、ロジャーは居間のソファーに腰掛け、彼女とふたりで一冊の本を覗き込み、読み上げあうことになった。
彼は男の、彼女は女の科白を読んでゆく。

行かないでくれという男のもとから、女は去ろうとしている。女にもこの別れは耐えがたい。しかし別れはなされなくてはならないと思っている。
物語は登場人物の現在と過去を、行きつ戻りつしながら進んでゆく。愛してはならない相手を愛するという罪深い愛、子供時代の海の思い出、夏の出来事、川に面したホテルのピアノ、互いの結婚、母の愛と死。男と女は視線を合わせない。ト書きにある。『愛し合い恋人となってしまうという取り返しのつかない危険をおかさずには見つめあうことができないように』と。

『あなたはまた去って行ってしまう、そうだね?』
『そうよ。あなたから逃げるために。あなたが、あなたから逃げるわたしと出会うために。だからあなたが来るとまた行ってしまうの。わたしたちが選べるのは、それだけだわ。』

ロジャー自身は慣れない科白まわしに困惑気味で、ドロシーは相変わらずの無機質な声音で、お互いに棒読みなのだが素人なので仕方ない。
しかし彼は途中、自分が思いの外この感傷的なラヴストーリーに入り込んでいることに気付いた。寄せて返す波のように互いに言葉を交わして話が進んでゆくためかも知れない。
ごく近くに座る彼女の横顔を見ると、文章を目で追っていくその頬に髪がかかっていてなぜか目が離せなくなりそうだった。あるはずのない吐息さえ聞こえてきそうだった。とにかく終わらせてしまおうと、ロジャーは本に視線を戻した。

ふたりで読み終えて本を閉じると二時間近く経っていた。咽喉が渇いていた。
外は雨がまだ降り続いていて、声が途切れると雨が音を吸い取っているかのようにひどく静かで、切なくなった。罪深い愛に苦しみ、隣に座る彼女に今本当に懇願していたような錯覚を覚えた。まるでふたりで寄り添って、ひとつの思いを生きたようだ。
ばかげている。これは現実ではないのに。この感情は役柄に引きずられていたから、それだけだ。舞台は跳ねて、にわか役者は現実に帰還した。
あれはただの芝居だ。これからも今まで通り何も変わらない。
「コーヒーをいれなおしてくるわ」
「ドロシー」
余韻を拭い去る潔い仕草で立ち上がった彼女を思わず引き止めた。もう少し側にいて欲しかった。けれど振り返った彼女の闇色の瞳と目が合うと、彼の口をついで出てきたのは劇中の女の名だった。
「アガタ」
彼女は何も答えずに部屋を出て行った。扉の閉まる音がなぜか悲鳴のように胸に響いた。テーブルに手を伸ばしてコーヒーを口に運んだ。冷め切っていたが飲み干した。
それからソファーにもたれて、手の中の本をもう一度開いた。

まだ心には、先ほど幕を閉じたはずの思いが、暗く沈んでいるような気がした。

 

文中引用 マルグリット・デュラス 『アガタ』
朝日出版社 1984年

(20040422)

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