好きシーンで創作30題 『24 忠誠を誓う』 ロジャドロです。
*こちらからお借りしました → 好きシーンで創作30題
言うまでもなく彼女は重い。とてもとても重い。ゆえに、その全体重を受ける靴はすぐに傷んでしまう。
彼女が執事に、また靴がひとつ傷んでしまったと言っていたのを出掛けに聞いたそのせいだ、彼は朝から街の靴屋がやたらと目に付いて仕方なかった。何足か揃えているはずなので当座は問題ないだろうが、ずっと彼の心に引っかかっていた。どこかで帰りがけに買おうと思っていたものの、思いがけず仕事が押して、依頼人の家を辞して目当ての店に着いた時は閉店間近だった。
店に入る前にあわてて靴のサイズを執事に訊いたが、同時に今まで一度も彼女に靴を贈ったことがなかったことにも気付いた。あの屋敷に彼女が来てから相当数を履き潰してきたはずなのに、その機会もなかったし、思いつきもしなかった。
贈り物をしたのもただ一度、ヘヴンズデイのコートだけだった。彼女は使用人でしかもアンドロイドだ。彼が贈り物をしなくても当然といえば当然だが。
食事の後にリビングに彼女を呼んだ。優雅な仕草で彼女が向かいのソファーに腰掛ける。彼女の重みにソファーが軋みを上げる。
脇に置いた箱の大仰な包装が、いまや彼を居心地悪くさせている。ラッピングなど頼むのではなかった。これは日頃の彼女への感謝の気持ちでそれ以上ではないのに、これではまるで特別な贈り物のようだ。
飲み物を運んだ執事が気を利かせたらしく席を外してしまったことに彼はますます複雑な気持ちになり、ついには彼女から目をそらしてしまった。
「それで、ロジャー・スミス」
静かな声で彼女が囁いた。夜風を入れるために開かれた窓辺ではカーテンが揺れている。彼女の声は柔らかく壁に反響して消えていった。朝には気付かなかったが、花瓶に生けられた花が強く香っていた。
顔を上げ彼女を見ると相変わらずの無表情ぶりに少しだけ笑ってしまった。
自分がこの無愛想なアンドロイドに日々振り回されながらも愛着を抱き、贈り物をしたいだけなのだと気付く。彼女がこの贈り物を受け取り、気に入ってくれれば自分も嬉しいだろう。彼は箱を手に取り、彼女に手渡した。
「開けてみたまえ。君への贈り物だ」
「なぜ。今日はヘヴンズデイでも、誕生日でもないわ」
「そんな日もある」
短く言って促した。彼女の細い指が包装紙を破り、箱を開ける。そのなかにはもちろん靴。色はこの屋敷のルールにのっとった黒。ただいつもの形ではなく、少しかかとのあるものを選んだ。彼女に似合うと思った。
「朝の話を聞いていたのね」
彼女の瞳が彼に向けられる。心を射抜くような、不躾なまでに強い闇色のまなざし。その引力に抗うように、彼はもう一度目をそらした。
「時間がなくてゆっくり選べなかった。気に入るとよいのだが」
「ええとても。ありがとうロジャー・スミス」
彼女の声には色も温度もなく、それでも思いが伝わる。彼女は確かにアンドロイドで、けれど他の誰が何を思おうと心を備えていると彼は知っている、初めて会ったその時から理解していた。
彼は立ち上がって靴を受け取った。彼女の膝から空箱を床に落として、前に片膝をついた。彼女は何をされているのかわからないようだったが、彼はかまわず小さな足から履いていた靴を恭しく取り、まるで忠誠を誓うかのようにかがんだままで、華奢な足先を新しい靴の中へそっとしまいこんだ。
(20040412)