もう一度あの日々をやり直せるならどんなに幸福だろう。あの嵐のような日々。
曖昧な思い出しか残らないなんてつらいなあ。
私はまだ旅の余韻から抜け出せないでいる。いつかただの思い出になるのが悲しい。思い出なんてつまらない。現実の、確かな手触りの何かが欲しいのに。
旅の間に多くの人に出会った。嫌な人たちもいたが、大概はいい人たちばかりだった。
Nと言う人に会った。
3日間だけ同じホテルに泊まっていた。私の英語の発音を訂正してくれたが、最後まで私は正しく発音できなかった。私の大好きな曲をダウンロードして聞かせてくれた。一緒に冬の海に行って大騒ぎした。怖がりの私を驚かせて笑っていた。今まで色んなところに行った、その話をしてくれた。私が見たくて見れなかったお祭りの写真を見せてくれた。互いに相容れないひとつのことを討論した。私の過ちを知った時、私を叱って、それから逃げ道を教えてくれた。
旅をして記事を書くのが仕事、俺は旅が好きだし写真が好きだし書くのが好きだし、幸せだよと言っていた。これは俺のブログ、外国語だし君には読めないだろうけれど写真は見れるよ。
彼のブログを覗くと、通り過ぎてきた旅について書いてある。私と行ったあの海の写真もいつかブログに載るのだろうか。彼が今いる場所について、私はほんの少しの事柄しか知らない。彼はどこに行っても大丈夫だろうから心配はしない。いつか日本にもまた行くよ、そう言っていた。
ふたりのKに会った。ふたりはほぼ同姓同名で、自転車であちこち旅行していた。とにかく面白くて優しくて騒がしくて、あっという間に私たちは姉弟のように親しくなった。ずかずかと入り込んでくるが気がきくところもあり、それが気やすい家族のようで心地よかった。彼らの国の文化について、学んだことは多い。日本で言う「バカあほ間抜け」を自国の言葉で教えてくれた。
ひと月ここにいるよと言っておきながら、Nと一緒に出て行ってしまった。俺らはもう家族でしょ、次は日本か俺らの国でね。そうは言ってくれたがさびしくて引き止めてしまった。
Mはシニカルで優しい人だった。疲れてるのに頑張ってテンションを上げていくさびしんぼだった。一緒にサッカーを見に行って、彼のお気に入りのチームに熱くなって、みんなで歌いながらホテルに帰った。日曜日は一緒に食事の準備をした。私をこき下ろすかと思うと不意にほめてきたり、意地悪になりきれないいいやつだった。
幸せになって欲しいなあってほんとに思えるような人だった。
Fはホテルで働いている女性。たどたどしい現地の言葉で話す私に、いつも笑顔で優しく応じてくれた。最後の日には泣いている私に付き添っていてくれた。同年代なのに、まるで母親のようなおおらかな甘やかさがあった。
私は彼女に秘密を打ち明けたのだが、彼女はそれを秘密のままに保持してくれているだろうか。疑うわけではないのだが、私のためを思って暴露してしまうのではないかと恐れている。
ずっと私をとらえていた王の伝説の地を訪ねることが、この旅の目的のひとつだった。誰もが知る王の物語だ。私はその物語を、もともとの意味とはやや違う意味合いで考えていた。私なりの物語として焼き直していたわけだ。
彼の縁の地を訪れた後に、どう言えばいいのだろう、私は私なりの王の物語を体験することになった。
それは不可思議な体験だった。最初はそのことに気づかず、気づいたのは巻き込まれた後だった。
奇妙なことを書いているとわかっている。しかし、こうとしか書きようがない。
スピリチュアル的なもの、オカルト的なものを私は一切信じない。私が体験したものはひとつの出来事であり、それに付随するひとつの大きな偶然だ。まだ私はこの出来事を表現で出来ずにいる。
えーとそれから、この旅行で私はますますアメリカ人が苦手になりました。ええ、わかってます。偏見です。
旅はまるで嵐のようだった。うまく表現できない。幸福で悲しくて、楽しくて苦しかった。帰りたくなくて、最後の日はずっと泣いてた。行きたくない、ここにいたいよってずっと言い続けていた。
ホテルのスタッフは本当にいい人たちで、宿泊者みんなでまるで家族のように過ごした。帰ってきてしまったことが今でもつらい。もう一度会いたい人たちがいる。
でもこれが最後なんだ、もう二度と会えないんだと思えて仕方ない。
私はきっと臆病なんだ。今回の別れが余りにつらすぎて、もう一度会ってまた別れてしまうのが怖い。今もまだまるで死んでしまいそうなくらいにつらい。こんな思いをするなんて、旅に出るまで考えもしなかった。
何もかもが唐突に動き出してしまった。私には制御できない何かが起こってしまった。私の人生に起こるはずのない何かが、私を巻き込んでめちゃくちゃにしてしまった。
どうもまだ冷静ではいられないようです。後日この記事は消すかもしれません。
水だった。
ガスの湯沸しはちゃんとお湯に設定してある。なのになんで水のままなの?
はっとしてガスコンロのところに行ってみた。ガスに点火してみたけど、やっぱりつかない。引き落としにしてあるし、口座にちゃんとお金は入れてあるからガスが止められたってことはない。
前にも朝シャワーを浴びようとしたら、お湯にならなかったことがあった。夜に帰宅してみたら、ガスはつくようになっていたから、私の住んでいる集合住宅のガスが切れていたんだと思う。今回もこれなのかな?明日には復旧するのかな。
仕方ないから、バスタブにたまった水で大物を洗うことにした。着るとあったかくていいんだけど、大量に吸水するから重さのバランスが取れなくて洗濯機で洗いにくい服とブランケットを突っ込んで押し洗い。
今夜はこんなはずじゃなかったのに。
部屋は押さえてもらえたのだけど、こちらに電話してみて、と教えてもらった電話はホテルのサイトにのってた電話番号と同じ。ここに何度も電話したんだよー、とは思ったけれど再度電話してみた。
そしたらやっと通じたー。予約確定してひと安心。ホテルの人もいい人っぽい。スタッフの人柄がよさそうだと、それだけで旅がうまくいくような気がする。
他に候補のホテルもあったんだけど、立地はよくても予算が合わなくて、出来れば今回のホテルにしたかった。長期の貧乏旅行なのでホテル代は抑えたかった。
そもそも私は住むところに余り執着がない。今住んでいるところも駅からは近いけれど、築年数は割と長く、寝転がって笑ったくらいでみしみし揺れるし、隙間風も入ってくる。でもここに一生住むわけではない、ここは仮の住まいだと言う思いがあるせいか、ただ居心地よく暮らせればそれでいいかと思う。旅行先のホテルならばなおさら、シャワーと寝るところがあればそれでいい。
仮住まいのつもりで一生ここで暮らすのかもとも思うが、それでもいいような気がする。家賃が安くて他の趣味や貯金にお金をまわせるのは嬉しい。
もう少ししたら、旅行に出かけるためこのブログさえも更新がとまります。いつも来てくださる皆様に心からお礼を申し上げます。
ポプラの木で形作られ鮮やかに彩色された素朴な人形は、ホピの人々の暮らしに深く関わる精霊たちの姿を現しています。
この展示物の作者は300ものカチーナ人形の姿が頭に入っているとのこと。
私の好きなミステリのシリーズに、ナヴァホ居留地のふたりの警官を主人公にしたものがあります。作者はトニー・ヒラーマン。ベラガナ(白人)でありながらナヴァホの文化に深い親しみや知識を持っているのでしょう、彼の書く作品にはナヴァホならではの人生観や感覚があります。
作品中ではナヴァホのみならずホピやその他の部族の文化もテーマとされることもあり、今回このカチナ人形を前に、これも出てきた、あれもあったとわくわくしながら見ました。
展示物の量は少なめでやや物足りない感がありましたが、それにしても面白かったな。ホピのカチナってコミカルな表情でとにかく鮮やか。ホピ神話の本、探してみようかな。
その後友達と会ってご飯に行きました。
一人旅の相談をしていたらいつの間にか、ビデオカメラを片手に電波少年的旅をすることになってました。えええー。
向こうに着いたら楽しいだろうなって考え出したら、もうとまらない。
もう少し言葉も勉強していこう。ホテルはどんなとこにしよう。何を見よう。何を食べよう。どんな出会いがあるだろう。
大きな街にはほとんど行かないつもり。遺跡もあんまりメジャーじゃないところ。ビーチもショッピングもそんなに興味ない。いつか住みたいその国で、知りたいのは人々の暮らし。
もしお金があったら、もうひとつ行きたい国がある。一度行った事があるのだけれど、その国は私の特別な国になった。それまでほとんど知らない国だったのに、なぜか懐かしく今も思い出す。
目がくらむくらい美しくて怖いくらい鮮やかな国だった。
海の遠いところで、音もなく曇天が雷にきらめいていた。夕暮れ明かりのともった古びた家から、歌うような声が響いていた。優しくて暖かな現地の訛り、あふれる音楽、人々はその国のように伸びやかで健やかで綺麗だった。
特に誰かと親しくなったわけではなかったけれど、まるで故郷に帰ってきたように感じた。
この冬に行く国も大好きな国だけれど、私の特別な国だけど、故郷のようだとは思えなかった。あの国がどうかあのままで、性悪な隣国に脅かされることがありませんように。
一人旅は初めて。臆病者なので、かなりびびっています。手続きとか資金とか言葉とか、色々不安だらけ。正直期待よりも不安が勝っています。
でも、いろんなことを一人で出来るようになりたい。昔話に出てくるような、恐れ知らずで賢い子供、そんな風になりたい。「一打ち七匹」みたいな。もう子供じゃないけど。
今年は伝説の王様のゆかりの地に行くつもり。なぜかわからないけれど、その王様の伝説がこの一年間私を捕まえています。小さな町で、何もないよって知り合いに言われたけど、かまわない。とても楽しみ。
天気がいいといいなあ。私の恐れが全て杞憂でありますように。
全てがうまくいきますように。
外国旅行でふらりと立ち寄ったお店の女性で、彼女はまだ若く、高校生くらいに見えました。
私はその国を訪れるのは2度目でしたが、その頃その国の言葉をごくごく片言しかわかりませんでした。辞書を片手に商品や値段について聞くうちにも、彼女の人柄の良さは伝わってきました。
観光客のほとんど来ない地元のお店だったこともあったのでしょう、彼女はあれこれと時間をかけて商品を選ぶ私達に本当に親切でしたし、近所のおばあさんもやってきて(言葉がほとんど通じないとわかっても)私達に話しかけ、本当に和やかな雰囲気でした。
その旅行の間も旅行の後にも、幾度も思い出してしまう素敵な女性でした。
翌年もそのお店に行きましたが、彼女は店にいなくて代わりに男性が一人いました。またそこで買い物をしてから
「去年ここへ来ました。女性が一人いて、彼女はとてもいい方でした」
と言うと、その男性は彼女は私の妻ですと言い、仲がいいと言う仕草をしました。
その男性は彼女の父親だろうかと思っていたので、正直驚きました(笑)。外国人の年齢ってわからない。
彼女にお礼を言いたかった、よろしくお伝え下さいと言って店を出ましたが、私の怪しい外国語が通じたかどうか。
もう一度会いたかった。
その国を何度か訪れて、いろんな人と言葉を交わしました。なのになぜか、その国の人たちの優しさや善意に触れたことを思い出す時に、私は彼女を一番に思い出します。
もう顔もはっきり思い出せない人ですが、いつかもう一度会ってきちんと知り合いになりたい思い出の人です。