セレナタの文化についての書籍を探しているのですが、あまり見つからない。
セレナタとはセレナーデ、いわゆる夜想曲のこと。男性が女性の家の窓の下で楽団に歌わせる(あるいは本人が歌う)と言う習慣のこと、またその曲のことです。女性がその男性の想いに応える気持ちがあれば、バルコン(バルコニー)に出てきます。女性の方の親がふたりの仲を認めているならば、父親が女性の手を取って玄関から出てくるとか。
今ではすっかりさびれてしまったとは知り合いのラテン人の話。昔の話だよ、誰もしないよ、だそう。他の国ではやってるかもしれないけど、ともかく彼の国ではもうやらないらしい。
なんてもったいない。ロマンティックでいいと思うんだけどなあ。
日本人にはキザ過ぎて鳥肌モノですが、ロマンティックの本場(偏見)のラテン諸国ではぜひぜひ続けて欲しい。私はされたくないけど。
かなり前に買ったんだけど、マニー・マヌエルのセレナタのライヴDVDを観ると、いつでも引き込まれる。マニー・マヌエルと言えばとにかくメレンゲって感じだったのに、セレナタも素敵だ。マイケル・ステュアートなんかも似合いそう、歌って欲しい。
しかし映像表現のひとつなんだろうけど、踊る女性のイメージが必ず挿入されてて、これがなんとなく微妙。オリエンタルダンス風かと思いきやヒターナ(ロマ:ジプシー)風だったり、踊りもなんとなく不思議な感じ。普通にライヴだけで満足なのに。
セレナタのCDもっと欲しいなー。探してみよう。
昨日は寝るのが惜しくて、大好きな映画「ダンス・ウィズ・ミー」を観返しました。同じタイトルの別映画があるそうですが、私が好きなのはヴァネッサ・ウイリアムズとチャヤンの出演してる方。
ダンススタジオで教えるルビー(ヴァネッサ・ウイリアムズ)と、そのスタジオへ父を尋ねてアメリカへやってきたキューバの青年ラファエル(チャヤン)が、ダンスを通して近づいていくというストーリーです。プロを目指しているルビーは、彼女を捨てた元夫とペアを組んでソシアルの大会に出るのですが、そこも見もの。
大好きといっても見直す場所は決まっていて、
1 二人で二回目にクラブに行くシーン
ルエダ(複数のペアが輪”ルエダ”を作り、合図にあわせて次々ペアを変えて踊る)の箇所はともかく、曲の最中に人のパートナーと踊るのはやや現実的ではない気もしますが、あの目くるめくダンスシーンはすばらしい!私の知り合いは映画に出ていた、二人の女性と同時に踊る小柄なオジサマと昔踊ったと言ってました。オジサマは五人の女性と踊っていたと。すごーい。うらやましい。
2 ラファエルが大会でパートナーと踊るシーン
アリーマイラブ好きなら知ってるジェーン・クラコウスキがパートナー役。ジョン・セカダの曲が良くて見てしまう。
3 ルビーが大会でルンバを踊るシーン
明らかに審査員にマイナスされてもおかしくないところですが、ラファエルと踊っているようにパートナーと踊っているシーンが美しい。ダンスの陶酔感て本当にあんな感じ。
4 ラファエルとルビーが二人で踊るシーンから続く、ラファエルがスタジオでルビーとルビーの息子と三人で踊るシーン。
観るたび泣けてしまう。ヴァネッサとチャヤンが歌う「You are my home」をバックに、父の仕事の関係で幼い頃から転々として暮らし夫にも去られ、故郷という感覚を持たずに生きてきたルビーと、父に捨てられたと思いながら育ち、母を失って故郷を離れてきたラファエルとが、互いの中に「ホーム(故郷)」を見つけたというベタなエンデイングですが、でもいいんだよー。
この映画はとにかく曲が私好み。2の「Want you, miss you, love you」,3の「Eres todo en mí」、4の「You are my home」など歌詞を聴きながら観るともう切なくなります。ベタベタに甘いですけどね。
本当に大好きだ、この映画。
いいお天気で、行楽日和ですね。
私はといえば相変わらず仕事三昧。家と仕事場の往復ばかりです。
楽しみは通勤中の音楽と睡眠くらいです。
そういえば先日タニス・リーの「銀色の恋人」が再販されているのを見かけて購入。さっそく読んだのですが、これは、なんと言うか。
少女とアンドロイドの青年の恋愛もので、人気も大変高いのですが、私にはいまいち納得いかない話でした。
翻訳が好みではなかったのもあります。でも一番納得いかなかったのは、アンドロイドが持ちうる「心」についてでした。
私は機械が人のような心を持つことはありえないと考えます。機械として、機械なりの心を持つことはありえるかもしれません。しかし、人のように肉体の感覚を持たない機械が、「私達と同じ」ように働く心を持つことはないでしょう。
私達の心を作るのは、肉体の感覚だと強く信じているからです。知覚し、行動し、他者と接する事で心は作られるのです。
機械は人のように振る舞うのではありません。機械が人のように振る舞っていると考えるのは、私達人の方なのです。機械はただプログラムに従っているだけなのです。
アンドロイドが心を持ち、さらに魂を持つというタニス・リーのこの作品は、SFというよりもファンタジーであると私は考えます。ラヴストーリーとして、また母と娘の異様な関係を書いた本としては面白みがあります。こういう母子関係って現実問題としてよくありますね。
タニス・リーの本なら以前読んだ短編が好きです。インドをテーマにした作品ばかりで、ブレイクの「虎」を下敷きにした作品がとりわけ好きでした。
多分私はロジャドロを好きすぎて、あれこれ考えすぎたために、この作品に違和感を覚えているのかもしれません。
ドロシーはアンドロイドで、心を持ちようもない。それが私の考えですが、この考えには抜け道があります。セカンドシーズンにこの抜け道を与えられたので、あのラストは(微妙だけど)肯定派なのです。
私はロジャドロは突き詰めて言えば本当の意味では決して叶わないと思っているから、だからこそ好きなのでしょう。
田園調布にお店のあるルージュ・ブランシュの生チョコを沢山もらいました。もうスプーンですくって食べるレベル。甘ーい。うまーい。チョコレートは幸せの味ですね。ここのオランジェも相当おいしいんです。オレンジとチョコって本当に合う。
最近サルサのDVDを買って以来、Rey Ruizの「No Me Acostumbro」を繰り返し見ています。確か家にCD持っていたはずなのに、見つかりません。どこかに絶対あるのに。持ち歩きたいのに。
歌詞も、コロカンタ(コーラスとシンガーとの掛け合い)部分も良くてもう夢中。こういうセンチメンタルな曲が好みなんです。
ShakiraのCD2枚組も買ったんですが、「La Tortura」と「Hip Don't Lie」しか聴いていない。「Hip Don't Lie」はイントロがなつかしの「Amores Como Nuestro」ですね。こちらもDVDを見ながらボディームーブメントを練習してます。
来週はまたクラブに行くぞ。あの踊り狂った日々再び(願望)。ドレスコードのあるイベントにも行きたいよ。
読み上げてたのに書き忘れ。
「シャーロック・ホームズの愛弟子 公爵家の相続人」 ローリー・キング
前作「エルサレムへの道」の登場人物マフムードとアリーが再登場。今回は引っかかるところが何箇所かあって、ただ楽しむだけという話ではありませんでした。
高貴な血筋と言うか血脈神話的な感覚はどうもだめ。思いがけず見つかった公爵家の血筋の子供が、いやおうなく当主としてすえられてしまうことも納得できませんでした。本当にその子にとっての幸福かどうかもわからないのに、ただ血を引いているだけで、望まれるままに非常に多くのものを背負わされるのはどうなの。
今までキングは、自立とか自己の意思とかを大事にしたいという人々を書いてきたと思っていたので、なんとなく失望。私の読みが甘いのかな。
「レテの支流」 早瀬乱
後半は流し読み。でもマジックナンバーの話は面白かった。
「夏目友人帳」 緑川ゆき
だんだん人気が出てきて嬉しい。ところでカラスは途中でどこへ行ったの。
キャベツブームがまだ続いています。キャベツおいしすぎます。細かめに切って、卵とツナ缶と小麦粉をあわせて、油多め生地少なめでフライパンにふたをして、じっくり焼くとおいしい。お好み焼き風にマヨソースでもいいし、ポン酢でもドレッシングでもナンプラーでもいい。毎日でも飽きない。いや、毎日は飽きる。
またまた図書館へ。
*「私が殺した少女」 原りょう
*「レテの支流」 早瀬乱
*「シャーロック・ホームズの愛弟子 公爵家の相続人」 ローリー・キング
原りょう面白い。借りてすぐカフェに入って、さっそく半分くらい読んでしまいました。なんだ、この引き込まれ感。
あと、なんとなく目に付いたホラー「レテの支流」。レテとはあの世にあると言う忘却の川です。死者はその川の水を飲み、生きていたときの記憶を全て忘れるそうです。ホラーは余り好きではないのですが、なぜか借りてしまいました。
それから大好きなローリー・キング。彼女のこのシリーズについては賛否両論ありますが、私は割りと好き。シャーロック・ホームズの話というよりも、キングの書く宗教学についての記述が大変興味深く思えます。私は一切の宗教を信じることはありませんが、人々が何千年も昔から様々な神を信じてきたことには価値があると思います。私は信じませんけどね。
マルグリット・デュラスの「ヤン・アンドレア・シュタイナー」も再読したかったのですが、重いのでやめました。また行けばいいかと思いまして。
今はカフェインを摂るのは良くないと医者に言われているので、夜はミントティーにします。蜂蜜とレモン入り。
今見たい映画(DVD、劇場)。「愛より強く」「キンキーブーツ」「母たちの村」「あなたになら言える秘密のこと」「グアンタナモ、僕達が見た真実」
グアンタナモは見るのがしんどそう。
今日(もう昨日)「千と千尋の神隠し」やっていましたね。途中から見ましたが、千尋がハクを追って花の咲き乱れる中を通っていくシーンや、浅く澄んだ水の中の線路、水面から見える家や木々、それから竜の姿のハクにが名前を取り戻して千尋と手を取り合って落ちていくシーンが印象に残ります。
千尋のいるの世界に自分も帰ると言ったハクや「またね」と言った坊たちに、千尋がまた会うということはあるのか、会うとしたらそれはどんな形の出会いなのか、考えてしまいました。私のイメージでは、あの姿の彼らに会うことはもはやなく、会ってもそれとははっきりしない出会いなのではないかと思えます。
はっきりとした別れではなく悲しくはありませんが、切ない別れです。
そろそろレゲトンは去ってくれないものかと少々思ってはいますが、ともあれインディアは素敵。
原りょう「天使たちの探偵」「さらば長き眠り」読了。そうだよ、こういうミステリが読みたいんだよって思いました。「さらば長き眠り」で主人公沢崎の元相棒の渡辺の行方が知れた時には、ほとんど姿を見せることのなかったにもかかわらず気持ちを揺すぶられました。
「私の殺した少女」をまだ読んでいないので、楽しみ。
この本を読んでいる時にTVで「007 私を愛したスパイ」を流し見しました。007初見ですが、面白さがまるでわからない。プレイボーイなのはわかるけど女性にがっついてる感じがして全然スマートじゃない。もっとストイックなキャラにしたほうが、魅力的な気がする。と言うか、話自体も軽くてなぜこれがシリーズを重ねられているのか謎でした。ハリウッド映画に対する私の偏見もあるのでしょうが。
警官になった友達に今日会いました。警官は「ロシアと中国には旅行できない」らしいと聞いて驚き。本当なの?
読み上げていたの忘れてました。18世紀のイギリスとフランスが舞台で、歴史上の人物が沢山出てくるのですが、史実とは違う人物設定に時代背景、そして錬金術により生み出された不思議な装置。なんとも奇妙な物語なのですが、引き込まれてあっという間に読み上げました。
私のイメージでは物語とは、小さな点から始まり、事件や謎を(あるいはなんでもない日常を)孕んで次第にふくらみを増して読み手の緊張や期待をかき立て、そして一気に収束と言う小さな点に再び集約される(もしくはどこか物語の外側に解放される)ものだと思っているので、今回も忠実に物語の決着を期待して読んでいました。しかしこの作品は、残念なことに4部作の1部めででまだ完結してない上、まだ続きが出ていないのです。
色々と解けない謎の真実や事件の決着のつけ方が、いつあかされるのかと逸るような気持ちで読み進めたのにー。
「遊牧の文学」 奴田原睦明 岩波書店
斜め読みしてしまった。じっくり読みたいけど、時間がないよう。
異なる風習や文化、生活や考え方について興味があります。もう一度読み直したい。
もう寝なくちゃ。ねむー。
久しぶりに図書館に行きました。最近は遅い時間まで開館しているところもあるんですね。閉館8時なんて嬉しい限り。
ある時期から本から遠ざかっていましたが、図書館に行ってみると、あれも読みたいこれも読みたいと6冊も借りてしまい、重すぎる上に鞄にも入りきらず、仕方なくそこで1冊読み上げて返却して帰りました。
角川書の出版した『ライオンと蜂蜜』と言う本、作者はでデヴィッド・グロスマン。聖書に登場する怪力男サムソンを考察した本です。薄くて軽いので、すいすい読めましたよ。
この本で、サムソン・コンプレックスという用語も知りました。「愛するものに裏切られることを望む心理状態」のようです。複雑に屈折していますが、ありそうな感じではあります。
大好きな須賀敦子の『ユルスナールの靴』も、再読したくなって借りてきました。彼女の文章は優しくて美しく、私の知らない国の話をしていても、どこかさびしい懐かしさを感じさせます。読んでいると、自分が日々の中でいつも感じる、じれるようなもどかしさがかきたてられます。
この感覚はこの本の冒頭に書かれた、
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。」
という文章そのものなのでしょう。
いつかこうしたい、私にはそういう願いがいくつもあって、それをかなえるために今とにかく働いているわけですが、様々な問題もあって、時々その夢を確かに描き続けることが難しくなることもあります。この気持ちが彼女の書く文に揺すぶられるのかも知れません。
そのほか借りた本:
*『遊牧の文学』 奴田原睦明
*『森の生活』 ソーロー
*『シバの女王』 ニコラス・クラップ
*『錬金術師の魔砲』 J・グレゴリイ・キイズ