「手を。手を繋いでいて、ロジャー。今だけ」
彼女は私の顔を見ることもせずに囁いた。その声は頼りなく揺らぎ、うつむいて鳶色の髪に隠された瞳は、濡れてはいないかと思えた。
私に対し奇妙に強情で意地っ張りな様子を貫いてきたこの少女が、不意に弱々しい囁きをもらしたことに私は戸惑った。父を信じきれず、かといって憎むことも出来ない。愛さずにはいられず、しかし許すことも出来ない。彼女は近くにいる私に、たったひとつ、手を握ることを望んだ。
私は彼女の手をとった。華奢な指が私の指に絡みつき、彼女の細い肩は止まらぬ震えを私の腕に伝えた。よく磨かれた床は濡れて冷たかったが、彼女の震えは寒さからではなかった。
「大丈夫か」
「ええ、……いいえ、もう少し」
濡れたシルクを通して彼女の熱を感じた。彼女のつけているネロリとゼラニウム、パチュリの香りがした。
私は彼女を腕に抱いていいか少しの間迷い、それから抱き寄せた。彼女は抗わなかった。
「もう大丈夫。ありがとう」
手をどけて身を起こした彼女の顔はまだ青ざめていて、声がわずかに震えていた。立ち上がり、服のしわを伸ばす仕草をして、床に置いたままだったバッグを拾い上げる。私の視線を避けるように出口の方を見た。
「行くわ」
「どこへ?」
「父に会いに行く。それから学校へ戻る」
私は思わず彼女の腕を掴んだ。彼女は厳しい表情で振り返った。私を見返す瞳は潤んでいた。
「放して」
「だめだ」
「なぜ?」
「君が」
言葉にならず、私は刹那激しくためらった。ただ一言、行くなとさえ言えなかった。私は手を放した。
またもパラレル。パラレルネタはもう少しありますが、はたしてパラレルはどういう位置づけをしていいのか自分でもよくわからない。パラレルネタは苦手だったはずが、考え始めるととまらない。
イメージ的に、ロジャーは交渉人というよりP.I.(私立探偵)のようです。ハードボイルドが似合いそう。泣いたり笑ったり出来るドロシーを書いてしまうのには抵抗があります。