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ビゴのテキストが少々おいてあります。(ロジャドロ中心です) 原作者様・制作会社様とは一切関係はありません。
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好きシーンで創作30題 『03 指を絡ませる』 エン→ロジャー
*こちらからお借りしました → 好きシーンで創作30題



ロジャーは私を選ばなかった。これからも選ばないだろう。そうわかっていてなおもあがく私は愚かなのだろうか。
闇の中に立ちつくし、心底憎み心底愛した街を窓から見ていた。心は麻痺して鈍く、何かを考えることも行動することも出来ない。ユニオンの召集もひとごとのように遠かった。街の光が潤んでにじんだ。
終わってしまったもう変えようもない出来事を、私はさっきから幾度も思い返している。酒を飲み、食事をし、海辺を歩いた。寄せて返す波音を聞きながら、囁き合い指を絡めて抱き合った。夜の潮風は冷たかったけれど寒くはなかった。互いの心に触れた気がした。私たちは幸福な恋人たちだった。
けれど顔を上げて見つめると、ロジャーは明らかにためらっていた、そして。

ドアが軋む音がして私は振り返った。とっさに身構えたが闇に浮かぶ体の輪郭は見知ったものだった。ダストン大佐だ。窓からの弱い明かりも扉近くに立つ彼の顔には届かず、表情は陰になって見えない。彼からも逆光になって私の顔は良く見えないだろう。体の緊張を解いて黙って見ていると、彼はなぜか言い訳のように小さく、ドアが開いていたのでと言った。
私を捜していたのだろうか。嫉妬に駆られて取り乱した私を。アンドロイドに負けて尻尾を巻いて逃げ出した私を。
部屋の雑多な物を避け、静かに近づいた彼の差し出した手には、私の落とした銃があった。
無骨な男、不器用な男。彼の朴訥とした言葉は私へのその精一杯の慰めなのだろうか。彼が慰めたくなるほど私は苦しげに見えるのだろうか。
夜気に身が冷えたようで少し寒かった。銃を受け取るためというよりも、人の熱や優しさに触れたくて私は彼の手に手を重ねる。受け取った銃をそのまま床に落として、驚いて唸りを上げる彼の胸に顔を寄せる。彼が困惑した気配が伝わってきたが、かまわず背に手を回してしがみつく。なだめるようにおそるおそる彼の腕が私の背に回る。私たちは強く抱きしめ合う。

違うのはすぐにわかってしまった。
彼は優しさがある男だ。包容力も温かみもあり人間的だ。私の体を暖めてくれるだろう。軍警察の立場として、そして私個人を知っているものとして、板ばさみになり苦しんでくれるだろう。 けれど私が願う人ではない。
そっと体を押しやって引き離した。彼は無言で腕を開いた。私はその前で今や寒さに震えていた。この寒さは私の中に巣食う虚無から来ているのだと、もう気付いていた。

私にはどうしようもなく好きな人がいて、けれどその人にも私ではないどうしようもないほどに愛しい存在がいて、それはもう決して覆せなくて、それゆえに私はこんなにも淋しくて悲しいのだ。暖かくても他の人の腕ではだめなのだ。夜の海で私が指を絡めた、あの手でなくてはだめなのだ。
身をかがめて床に落とした銃を拾い上げた。ごめんなさいと呟くと、振り返らずに彼を置いて部屋を後にした。
行く当てなんて思いつかないままに。

(20040417)

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好きシーンで創作30題 『02 口付けを落とす』 ベック→ドロ
*こちらからお借りしました → 好きシーンで創作30題

 

あの男から奪ってこの手で殺した女を見たかった。

見下ろした顔はあくまで白く青ざめていた。よく出来たお人形だ、たとえ芸術品クラスであっても、これは単に動く人形に過ぎなかった。
布で覆われたその部屋へ辿り付いてみると、宝物のようにアンドロイドはそこに置かれていた。傍らに立って見てみれば、この手で破壊したその瞬間のままだった。

屋敷の中に忍び込むのは容易かった。そこかしこに壁や床や家具や、そういったものの残骸が散らばっていた。あの男はアンドロイドを回収して持ち帰っていた。今あの男は出て行き、可愛い人形のために必死に抗っているのだろう。ここに誰か残っているとしたら奴の執事くらいだ、見つかることはない。
弾痕の残る暗い階段を下りてゆく。途中に小さく白いものがひとつ落ちていた。拾い上げてみるとピアノの鍵盤だった。リビングルームを過ぎた時に、押し潰されたように壊されたピアノを見ていた。その傍に白鍵と黒鍵が散乱していた。そのひとつがこの混乱のさなか、どうしてか階段へと運ばれたのだろうと気付いた。象牙色の鍵盤は、幾度も間近に見た無愛想なアンドロイドの肌に似ていた。

あの男がこのお人形を愛しているのはわかっていた。アンドロイドを愛する、それは立派なフリークだ。
襲われた彼女のために憤り、屋敷に駆け込んでゆく奴の姿を思い出す。余りに哀れでその背に言ってやりたかった。もう手遅れだと。お前の可愛いお人形は、永遠にその手から失われるんだと。いつかのように見つめあうことも抱きあうことも、もう叶わないんだと。ざまあみろ。
ローズウォーターのために働き、メモリーを奪った。そして今俺はここで、人形を見下ろしている。遠くで幾度も爆音がしていた。空気を震わせて街の気配が部屋にも染み入っていた。

あの時彼女は瞬きもせず黙ったまま、近づく俺を見ていた。いつものように無表情だったが、なぜだろう、その時俺は、彼女に待たれていた気がした。破壊するものとして期待されている気がした。

不意に、なぜこんなにあの男に憎しみを抱いていたかわからなくなる。敗北とか恥とかそんなことよりも俺は。
彼女を取り戻そうと無駄なあがきをしているあの男も、ここに立ち尽くしている俺も、ただ共に渇しているのだ。

かがんでそっとキスをした。ガキのようにぎこちないキスをしてしまって、我ながら笑ってしまった。冷たい唇はまるで俺を拒んでいるかのように引き結ばれていた。虚ろなガラスの視線が俺に留まることはない。
お前は貞節な女なのか。他の男にキスさえ許さないくらいに。
囁いても返事はない。

俺はあの男が羨ましかったのかも知れない。手に入らないなら殺してしまいたかったのかも知れない、もう誰の手にも入らないように。そして、そうした。

(20040412)

好きシーンで創作30題 『01 髪を梳く』 ロジャドロです。
*こちらからお借りしました → 好きシーンで創作30題

 

屋上は風が強く、彼女の髪を揺らしていた。私はひざまずいて小さな頭を抱いていた。腕の中で彼女の見開かれた瞳は曇天を映していた。名を呼ぶ声に答えはなく、額に虚ろな孔を開けた彼女の姿はひどく無防備に見えた。
すぐにでも執事に連絡をして、彼女を連れて帰らなくてはならないとわかっていた。ここでなく、彼女のいるべき場所、私が彼女にいて欲しいと願うあの場所へ。そして有能な執事に彼女を託すのだ。出来る限りの処置をして彼女を。
元に。

けれどなぜか立ち上がれなかった。失われたメモリーに触れたいかのように、まるで強く抱き寄せたいかのように、私のまなざしと指が彼女の上をさまよう。
指の腹で彼女の頬に触れると、止められなくなった。髪を撫で、細く柔らかい流れにそって指をすべらせる。高い頬骨に、顎に、なめらかな額に、華奢な咽喉に、薄い唇の端に――。

心を捕えていたのは怒りでも悲しみでもなく、混乱だった。こんな風に彼女を失うとは思ってもみなかった。ずっと傍にいると信じて、疑いもしないでいた。

Dimidium animae meae.

彼女の声を聞いた気がして思わず口元を見た。動いているのは風に流される鳶色の髪ばかりだった。メモリーを奪われたアンドロイドが動けるはずもないのだから。彼女の声よりもっと生々しく、もっと揺らいだ、聞いたこともない彼女の声だった。彼女の発したはずもない、意味もわからない言葉。

これは妄執なのか。空耳と知りつつ、必死で彼女の声の名残を辿ろうとするこの思いは、私の憎んできた記憶に寄りかかる行為ではないのか。今なすべきことはむしろ彼女を取り戻すために動くことなのに。

こんな風に彼女に触れたことはなかった。そして今になって初めて、思い出を惜しむかのように触れるそのことを、彼女に許して欲しいと思った。

(20040407)

ロジャドロです。

105度

闇の中に目覚めてみると、頭が殴られたように痛み、口内で舌が厚く腫れて感じた。汗で寝間着が湿っていて気に障った。
夜半なのだろう、寝室のカーテンの隙間から入るのはパラダイムシティーのネオンの遠い照り返しの光だ。寝台から起き上がろうとすると左上腕にも痛みを覚えて、私は低く悪態をついた。
地下でドロシーによく似た姿の悪夢に銃で撃たれて傷を負った。その後に海から現れたメガデウスを退けた。屋敷に帰る前から奇妙な疲労を感じていたが、ノーマンに傷の手当てをしてもらってから食事をとった。それから。
記憶は途切れている。わずかに残るのは光に満たされた洗面所の白さや、頬に触れる居間のソファーの革の冷ややかさなどの細切れの感覚だ。もしかしたら嘔吐したのかも知れない。喉に残る違和感が、記憶の中ではひどく強い。
水を求めてサイドテーブルに手を伸ばしたが、指先に触れるのは磨かれた木材のなめらかさだけで、私は小さくうめいた。
すでに夜遅い時間で、ノーマンは眠ってしまっているのかもしれない。そしてドロシーは。
彼女はいつも、夜の間ひとりこの屋敷で一体何をしてすごすのだろう。
渇きの強さと、起き上がれば盛大に痛むだろう頭と傷とを天秤にかけてはみたが、身にまとわりつく重苦しさにまるで考えがまとまらない。
鈍い痛みもだるさも渇きも汗ばんだ体も、何もかもが不快でいらだたしかった。私は体を寝台に投げ出したまま、カーテン越しの弱々しい明かりをぼんやり見ていた。
しばらくして、明かりもつけずに静かにドアを開けて、ドロシーが部屋に入ってくるのを視界のはしで認めたが、具合を尋ねるのを子供っぽくも無視した。
気にもとめない様子で、運んで来たトレイをテーブルに置く。暗闇にも迷いのない仕種に私は少しだけ感心する。彼女に助けられて半身を起こすと予想通り盛大に痛んだが、奥歯を噛んでやり過ごして、差し出された水のグラスを口に運んだ。半分飲んだ所で、鎮痛剤よと薬が渡されてそれも飲んだ。
「吐いたのか、私は」
「ええ、居間で少し休ませてから寝室へ運んだの。水をもう少し飲んだほうがいいわ」
言われるまま水を飲んだ。冷たい水は喉を過ぎる瞬間だけとは言え、痛みの中でも私に清浄な感覚をもたらした。
寝間着を着替えるかと問われて、そうすると答えたにもかかわらず、着替えを取りに行った彼女を待たずに、私は眠りに沈み込んだ。

続く長い夢は断片ばかりだった。子供時代の思い出やもう名前も思い出せない昔の知己の表情や、突拍子もない出来事が目まぐるしく行き交うその隙間にも、焼ける空とメガデウスの隊列の光景や、狂ったようなアンドロイドの叫びや、私を必要としない街の様子が紛れ込んできた。
部屋を出る時に前室を抜けるように、目覚めの前に通り過ぎたいくつもの夢の最後では、人気のない街路で緋色のドレスをまとった少女が前に立ち、もう一度私の名を呼んだ。
冷たい雨が降り出して私を濡らしたが、同時に光が不意に空を満たし、仰ぎ見た私の胸に誰かの髪がじかに触れた。

目を開けるとドロシーが寝台の傍らにいた。いつもの黒い服で身を包んでいる。まだ夜は明けていないようで、今度は柔らかい照明が彼女の顔に優しい陰影をつけていた。
「ひげが伸びたわね」
言われて横になったまま顎に触れる。その手触りに、どれくらい眠っていたのだろうと考える。頭痛は治まっていたが、まだ体は重く頭も働かない。
「何か食べるなら持ってくるわ」
体調が良くないせいか食欲はない、が。
「食事よりも差し迫った問題がある」
「生理現象ね」
「はっきり言う必要はないよ」
起き上がるのを助けてくれと頼もうとしてためらった。具合が悪いせいだ、いつもよりも彼女に頼りすぎている。そう思いはしたが、何も言わずとも彼女が手助けしてくれたので、甘えてしまうことにした。背に手を添えられて起き上がり、ふらつきながら私は洗面所へ行った。
寝台に戻るときちんとシーツは換えられて寝間着が用意され、彼女はいなくなっていた。着替えて寝台に横たわったところで、スープを載せたトレイを持って彼女が戻ってきた。

床についたまま薄い塩味のスープを味わうと胃にしみるようで、自分が多分長く眠っていたのだろうと思えた。
そういえば眠っている間、私はいつの間にか寝間着に着替えていた。屋敷に帰ってから着替えた記憶はない。何気なく訊いてみると、ドロシーはそっけなく答えた。
「一度目は、服が汚れてしまったからノーマンが」
「一度目?二度目もあるのか?」
「私がスポンジバスをして着替えさせたわ」
「君が?」
スポンジバスに着替え。
彼女に体を拭かれて子供のように着替えさせられるのを想像して、私は押し黙った。今感じているのは、はたして怒りなのか羞恥なのか、困惑なのか。私の様子に気付いてか、ドロシーが続けた。
「二度目はノーマンは眠っていたし、あなたが着替えたいと言ったのよ」
「私は覚えていない、……いや、着替えたいとは言った」
「戻ってきたら眠っていたの。何もしない方が良かったと言うなら、謝るわ」
ため息をつくと頭痛が戻ってきた。彼女は好意でしてくれたんだとわかっている、それでも苛立ってしまう。
「いや、いいんだ」
彼女から目を逸らしてなんとかそう返したが、礼は言えなかった。
ドロシーが近づいて寝台に腰掛けた。マットレスが深く沈んで私を揺らし、めまいを感じた。白い指が私の額に触れた。冷たくて優しい指先。眠る私に触れた手だと思うと奇妙な感覚があった。
この手に気付かないほど深く眠っていたのだろうか。いいや、あの夢で。私を濡らした天上からの滴。胸に触れた髪。彼女の冷たい指と髪だったのか。
「あなたは熱があったの。だから」
「傷のせいなのか」
「いいえ。傷の化膿はないわ。屋敷に帰って不意に105度以上に熱が上がったのよ」
あの重苦しさは熱のためだったのか。熱があったのならば辛かったのも納得できる。
「でも、もう下がったわ。ノーマンも安心するわ」
彼女が寝台から立ち上がり、指が離れる。いつもよりも甘いのは彼女も同じなのかも知れない。私は宙に描かれる軌跡を辿る。
視線を窓辺に転じると、薄く静かに夜が明けていく気配がしていた。日が昇らなくとも世界には朝が訪れる。

バルコニーから街を見ようとテラスへ出た私に続いて、彼女も薄暗い室内から涼やかな風の中に出てきたのが足音でわかった。
この事件に関わった間に降り続いた雨はとうに止み、空気に水の匂いはない。
ドロシーが私の背に向けて話しかけた。
「人は衝撃的な出来事に遭遇すると、その後に体調を崩すことがあると言うわ。あなたは地下で銃創を負っていた」
「ああ」
「地下で傷を負うような何かがあったの」
視線は街に向けたまま、私は考える。何があったのか。この一連の出来事とは一体何だったのか。
残るのは解けぬ謎と若者達の死の事実と、私の腕の傷だけだ。死体は歎きのうちに葬られ、私の傷は癒えていく。この事件に私は、そして軍警察は、どうけりをつけるのだろう。
ドロシーに似たアンドロイドの存在を、私はどう理解すればいいのだろう。ドロシー本人にどう語ればいいのだろう。
「あなたは私がビッグオーに乗っていたことにひどく驚いていたわ」
「ノーマンかと思ったんだ」
答えながら嘘だと知っていた。
赤で身を覆い、銃を突き付け私を殺そうとしている者をドロシーだと思い、彼女に撃たれるのだと思った。そこにビッグオーがきて、彼女を粉砕した。かけらが足元に落ちてくるのを見てその時に感じたことは、今でもこれから先も表現出来そうもない。
長雨と悪夢に彩られた様々な事柄が、私を揺さぶった事件だった。
「それだけだ」
「そう」
短く相槌を打つ彼女の方へ振り返り、笑って見せた。これが笑顔に見えればいいと願いながら。
久しぶりに朝の明るさの中で見るドロシーは、R・Dとは似ても似つかなかった。まるで違う、そう、R・Dは私を介抱などしないし心配などしない。ドロシーを夢に見ても、それは悪夢ではない。
「地下で悪い夢を見ただけだ」
はぐらかされたと思ったのか、ドロシーはそれ以上追究しなかった。

105度の熱に焼かれた夢の灰が、風に流されて消えていった。冷たい風が頬を洗い、眠っていた体が目覚めて行くのがわかる。夢の後にはいつも、甘さよりも切ない苦みが残る。
低く世界を覆う曇天のどこかに、夢に見た光の残滓でも覗かないかと見上げて、私はため息をついた。

 

*華氏105度:摂氏約40度

(20060818)

ロジャドロです。

 
Later On

 寝台の上で靴も脱がずシーツを体の下に敷いたまま眠る男は、子供のように縮こまって寒そうに自らの体を抱いていた。夜半をまわってから気温は下がり、人の身には肌寒さを感じるのだろう。
 世話を焼かせてくれない酔っ払いほど手に負えないものはない。ノーマンは心配して、彼女にロジャーの様子をみるように頼んでいた。寝室にロジャーが戻り、寝入った頃を見はからって入ってみれば、どれくらい飲んだのだか男からは強い酒のにおいがした。
 履いたままの靴を脱がせて床にそろえる。ずいぶん乱暴に扱ったのに、乱れた髪の男は起きる気配もないから、かがみこんで鼻をつまんでやる。もごもごと何かつぶやいて顔をそむけ、さらに背を向けてしまった。男の肩越しに手を伸ばして耳をつまむと、今度は手で払いのけられた。
 明かりをつけないまま新しいシーツを出してきて、男の背中に広げた。温まるのか体の緊張が解けたのが見て取れた。寝台の反対側に移動して寝顔を覗き込む。男は疲れた表情で眠っていた。
 そんな顔をしばらく眺めてから、彼女は手を寝台に置いて男の上にかがみこみ、男の閉じられたまぶたにキスをした。
 一瞬触れるだけで、目も閉じず唇を寄せることもない、不器用なキスだった。

 ただ眠るこの男の手を取って触れることもできたが、彼女はそうしなかった。かわりに身を起こし、落ちていたネクタイを拾い上げ、窓から床に投げかけられる街からの弱い明かりを避けて優雅に歩き、そうして静かに寝室の扉を開けた。
 おやすみなさい、ロジャー。
 細い影が廊下へと抜けて扉が閉まる前に、頼りなく響く囁きがひとつだけ、彼女のかわりに部屋に忍び込んだ。

(20061210)

ロジャドロです。


堕天

アレルヤ、笑みも涙も死も知らぬ神の御使いよ。

「ビッグイヤー、君は天使と呼ばれる女を知っているか?」
時はまだ日付の変わらない夜、場所は紫煙立ちこめるスピーキージー、質問を投げかけた買い手の男は街一番の交渉人。
相手は新聞の陰に視線を落とす売り手の男、売り物はいつも確かだが必ずしも与えられるとは限らず、時に宣託のように謎めいて、受け取り手の力量問題にすり替えられることも往々にしておこる言葉の一群。
依頼人の噂を訊くついでに思いついて尋ねただけだったのだが、話は思わぬ方へ転がった。 問われた男はちらと宙を見上げてから、口元を歪めてみせた。
「君らしくもない、振り回されて困惑しているのか。しかしひとの間に暮らす天使は、おそれ多くて君にも手強いだろう」
「振り回されていると言うよりも、とんだ厄介ごとの種だ」
男同士の気安い軽口だ。ロジャーはグラスを持ち上げ、デイルに合図を送る。すみやかに飲み物が彼らの前に運ばれ、空のグラスが回収された。
「で、彼女の何を知りたいんだ?俺よりも君の方が彼女に詳しいんじゃないか?」
「情報屋とも思えない言いぐさだな。とにかく、何者なのかを知りたいんだが」
喉で笑って、ロジャーはグラスを傾けた。

君が知りたいのはオリジナルの方なのか?
彼女は40年前の混乱のうちに死んだ。詳細は不明だが父親が見取ったようだ。ただしその時は娘と知らなかった。その少女の面影はなぜか胸に残り、それから時を経てようやく父親は愛しい娘を思い出し、悪事に加担することも厭わず、後悔と罪悪感を糧に娘に似せた人形をつくりだしたわけだ。
しかし、死者は地上のものではない。地下か天上のものだ。その死者の姿を写した存在は、果たして地上のものだろうか?それを愛するものに希望をもたらすだろうか?

ロジャーは話を遮った。この話は。
「誰の話をしている?」
明らかに何か違う話をしている。ビッグイヤーは目を細めて、椅子の背に身を深く預けた。
「おや、てっきり君が屋敷に住まわせる、あの少女のことかと思ったが」
「……?ドロシーのことか?彼女がエンジェルだと?」
理解できずに彼は問い返す。自分はエンジェルという名の女の話をしていたはずだ。見事なブロンドで、心をかき立てる暗い色の瞳をして、場にそぐわないほど俗っぽく振る舞いもする、警戒すべきいくつもの名を使う女のことだ。
酒場の騒音にくぐもった笑い声が混じった。耳に障る下世話な笑いだ。
「そうさロジャー、天使の話だろう。天使は笑わず、泣かず、死からも遠ざけられる。知っているか?天使は笑わないと定めづけられているんだよ」
「しかし天使のような微笑みと言うだろう」
「ああそうだな。天使のような歌声ともいう。天使は歌う。楽器も扱う。だが笑わない」
「一体なんの話だ?」
語調が強くなるのがロジャー自身にもわかる。受け流してビッグイヤーが返した。
「……天上に属するものは笑わないんだよ。本来は、ね」
情報屋が口元に運ぶグラスが明かりを受けて鈍く光り、ロジャーは混乱が苛立ちに変わるのを感じたが、言葉の続きを待った。グラスがテーブルに戻され、そのなかで氷がはかない音でぶつかり合った。
「もちろん今やどこででも天使は描かれ歌われる。そこで天使はひとのように笑い、恋に落ちて時に死ぬ。それは卑俗な天使、永い時をかけてひとの身に近づけられた、大衆化された天使の姿だ」
新聞が手早く畳まれテーブルに重ねられた。その夜、初めて情報屋はロジャーの方を見た。つられるようにロジャーが向き直る。
「ロジャー、覚えておいた方がいい。天使はひとが触れえぬ、手に余る存在だ。彼女を天上からひとの身に堕としたいならば」
ビッグイヤーはこんな男だったろうか。姿もどこか存在感が薄く、地中でとうに朽ちたような声。こんなにも喧騒に満ちていながら、しんと店が静まり返った気がした。急にこの男が見知らぬ誰かに思え、違和感が胸を突き上げる。それともこの男の語る言葉への違和感なのか。
ひと呼吸の後に顔をそむけ、新聞の上に手を置いて、ビッグイヤーが突き放すように言った。
「共に地獄の炎に焼かれることを、君は覚悟しなくてはならない」

グラスが空になっていることに気づいたが、ロジャーは動かずにいた。ゆっくりと店のざわめきが彼の耳に戻ってくる。隣に座る男への違和感は紫煙のうちに紛れこみ、身に馴染みはじめていた。
この奇妙で唐突な会話の流れを断ち切らなくてはならない。ロジャーは軽い口調になるよう努めて切り出した。
「ばかばかしい。いつから君はそんな与太話ばかりをするようになったんだ。大体ドロシーはただのアンドロイドで、私が尋ねているのは」
「天使と名乗る女だったか。知らないな。そんな噂は聞いていない」
そっけなく言い切って、ビッグイヤーはまた新聞を広げなおした。
話は終わりだと言わんばかりのしぐさに、ロジャーは立ち上がった。相手がこの情報屋では、食い下がったところで得られるものはない。
手を内ポケットに入れようとしたところで名を呼ばれた。
肩越しに見ると、ビッグイヤーは新聞をめくりながら続けた。もうこちらに顔を向けはしない。
「今日は君の期待に添えなかったな。代金はいらないよ」
早々に話を打ち切ったことをとりなすような響きが声音に滲んでいるのを感じ取り、ロジャーは眉を上げる。この情報屋がこんな口調になることがあるとは思わなかった。
「先に依頼人について聞いた。また頼む」
情報料をテーブルに置くとスピーキージーを後にした。外に出て見れば夜風は暖かく、なぜか歩きたい気分でもありどこかでひとりで飲みたい気分でもあった。少し迷ってロジャーは屋敷に戻ることにした。

理由はわからない、もしかしたら、ビッグイヤーはブロンドの天使について語るつもりがなく、それゆえあからさまなまでに話をすり替えたのかも知れない。その後ろめたさから金を今夜は受け取りたがらなかったのか。
それとも本当に、彼はエンジェルについて知らないのか。
しかしあれほど謎めいた行動をする印象深く美しい女を、知らないということがあるだろうか?

居間でひとり飲んでいた彼が切り上げたのは、三時をかなり過ぎてからだった。
早くに自室に下がらせたノーマンはロジャーの様子を最後まで気にしていたが、ドロシーの方はいつもの冷めたまなざしで彼を一瞥しただけだった。
低く軋むドアを開けて暗い寝室に入る。窓から床に投げかけられる微かな明るみを避けて踊るように歩き、ネクタイを片手で解いて床に投げ捨てて、靴も脱がずにわざと大きな音を立てて寝台に倒れこむ。子供じみたふるまいをしていると思えて、彼は口元だけで笑った。
そして夜にも眠りにも夢にもそれを司る天使がいると考えると、まるで自分が途方にくれたように感じた。
飲みすぎたに違いない。ビッグイヤーの言うところの天使の話など、きっと明日ピアノの音で目覚める頃には忘れているだろう。きっと彼が頭痛に不機嫌になるほどこの酒は残るだろう。ノーマンが食事を準備してくれて、ドロシーは二日酔いの薬を運んでくるだろう、それからもしかしたらサティでも弾いてくれるかも知れない。あるいはディアベリでも。

彼はただ目を閉じて、酔いが静かに身中を焼くに任せることにした。彼の元へ堕ちてくる、天使をせめて夢にみるために。

(20061105)

シュバルツバルトです。

業火

夜を渡るように、私は街を隅々まで一晩中歩きつづける。夜に私は力を得るかのようだ。疲れも恐れも感じない。よどんだ臭いの底を、熱に浮かされて私は行く。
小さな世界だ、夜毎歩きまわればことごとくを知ったように思えてくる。そこここに暴力と犯罪と偏見があり、貧困と富裕とが憎みあい、搾取するものとされるものとが命の取引をしている。
私の姿はまるで、夜に隠された影だ。そこにありながら存在しないもののように、人々のささやきとまなざしの間を彷徨する。
夜は暗いもの、光を向けても必ず影を生む。私はそこにいる、影のうちに住まう。
今夜私は理由も知らぬ期待に導かれ、街の東の半ば砂に埋もれた廃墟へ来た。ここで世界は終わり、その先には続く砂と虚無しかないと人々は信じさせられている。その先に向かう者はいない。

街を遠く背にして進んでも、闇に慣れた目はわずかに周囲の様子を捉える。砂の表面はさらりと軽かったが、踏み込むと足に重く、引き止める手のようにまとわりついた。腿を上げるようにしてゆっくりと行く私を街へ吹く風が弄り、巻き残した包帯が後方へなびいた。
風の中に私はかつて妻がささやいた静かな問いを聞いた。
「街の終わる所、この砂の先にはなにがあるの」
私達は廃墟までしばしば訪れて、延々と続く砂の向こうを眺めた。
この小さな世界は成り立ちからして謎で、砂に閉じ込められて拠るところもなく、その上に築かれた人々の暮らしが満たされたものになるはずはなかった。早晩風に吹かれてやがて砂に埋もれるだろう場所。問いに答えるすべもなく、私は妻のまなざしからいつも顔をそむけた。
日々に没頭することで無感覚に生きることもできたはずだ。しかし答えもないと知りつつ、妻は幾度もここではない場所、外の世界について問いかけた。私たちは同じ炎に焼かれていたのだ。
真実を求める、その焼けるような渇望に。

そして私は二度焼かれ、ここにいる。

あの男、街の飼い犬、黒いメガデウスのドミナスに対峙していたとき、高揚感と全能感が私を満たしていた。私には強大な力があり、与えるべき知識があり、この思想はパラダイム市民すべてに還元され理解されるべきものだ。その考えが頭の中に居座っていた。J.F.Kで彼を待つあいだ、私はこらえきれずに笑みを浮かべていた。包帯の下の火傷がひきつれてひどく痛み、しかしそれさえもやっと触れ得た真実の証、力の源流の刻印だった。
力。地下深く震えながら見つけ出した真実の一端は、剥き出しのメガデウスの姿をして力を約束するものだった。目の前で不意に意志を持って動き出し、恐怖とともに私を焼いて変容させ、生まれ変わらせた。
そのメガデウスが街の飼い犬に焼かれた後に、今度は赤のメガデウスが地中から私の前に姿を現した。
炎は燃やし尽くすごとに新たな力をもたらし、古い価値観を拭い去り歓喜と共に高みへと押し上げる。 ひとりの男が炎に焼かれて真実に目覚めた。それがはじまりだったのだ。
次はあの男だ。そしてこの街だ。火を放ち、再生への道をしめすのだ。この矮小な世界を新たな光で満たすのだ。真実の翼で触れて変貌させるのだ。私の手には、真実とまさに一体となるための鍵がある、そう思っていた。
しかし与えられたのは更なる敗北だった。黒いメガデウスに破壊されながらも、またしても意志を得て動くビッグ・デュオを見た。

染み着いた習慣を覚えているのは、心ではなく体なのだろう。夜半シーツの隙間に疲れきった身を横たえ眠りにすべりこむ直前に、私の手はいつも彼女の体に触れようと無意識に左側に伸ばされた。 そこには冷たいシーツがあるだけで、そうだこの部屋に妻はいないのだとその都度考えた。頭ではわかっていても、私の左手はその不在に慣れることができず打ちのめされた。
仮住まいの汚れた部屋で、手を体に引き寄せ私は短い眠りにつく、それもその頃の慣わしだった。もう昔のことのようだ。

砂に足をとられ倒れる私を、柔らかな砂が抱きとめた。目を閉じてしばし風が私を越えていく音を聞いた。私を覆うように砂を吹き寄せる。
夜は眠るもの、短くとも傍らに温もりがなくとも眠りの手に身を任せるものだった、そんな日々はもう遠い。妻と共に暮らした長い日々、その後にもうひとつ部屋を借りた。私は彼女が隣にいない夜に、最後まで慣れずにいた。それでも私は今の私を後悔はしていない。

いかないで。記憶の底から暖かな闇が、私を呼んだ気がした。
なぜだ。私は顔を砂に置いたまま声に出さず闇に問う。なぜそんなことを。
私たちはひとつの真実を求めて、ともに抗っているのではないか?例え今こうしてはなればなれになっていても同じ理想を保持して。
声は黙す。私は重い腕を上げ、砂上に伸ばした。触れるのは冷えた細かい砂ばかりと知っていた。
妻を思い浮かべようとしたが、うまくいかなかった。瞳は緑、虹彩の中の茶色の斑。少し子音の強い話し方。彼女がどんな人だったかは覚えている。しかし全てが遠くうすぼんやりとしていた。確かに見えても触れえぬ水鏡のように。
彼女と私は共に探求心に焼き苛まれた。私たちはその意味で同じものだった。けれど、彼女を地上に残して私だけが地下へ下り、私だけが力に触れて再び焼かれ──。
彼女は今このとき、どこにいるのだろう。私はこれからどんな場所で眠るのだろう。
わかっているのは、もう彼女に会うことも触れることもないということ。闇にただひとつ確かなものと思っていた彼女を見失ったと言うこと。まるでこの砂を超えて、遠い世界の果てを闇に覗き見たかのようだ。

顔を上げるとすでに優しい夜の闇は去っていた。半ば砂に埋もれた体を曇天の下に起こして立ち上がる。眠りに落ちたのはどれくらいぶりだったろう。目覚めたのは、胸を掴み取る予感のせいだ。
海が近いのだろう、潮のにおいがかすかにしてきた。変わらず私を街へ吹き返そうとする風に逆らって、なにかに呼び寄せられるままにただ足を進める。いまだ治らぬ火傷の痛みも感じない。期待に胸は逸り、足にかかる砂の重さをさえ心地よく思える。
遠くで砂煙が立ち上がった。轟音を立てて蛇行しながら砂を巻き上げ、恐ろしい勢いで近づいてくる。跳ね上がり、深く潜り、荒々しく咆哮を上げる。私は大声で笑う。ついに来た。
私をずっと呼んでいたのはこれだ。私を次の場所へ持ち上げて、焼き尽くす業火。その姿が見える前に理解できた。やがて街中に撒かれる紙によって知らされるリヴァイアサン。私が予言した禍々しい獣。解放のときだ。
私はもう一度炎に身を捧げるために腕を広げる。目を閉じずにその瞬間を待つ。鈍い振動が襲ってきて足下で砂が弾けた。体が宙に投げ出され、手が空を切った。雲を映したはずの視界がなぜか、夜の闇のように昏かった。昨夜私を抱いた砂に落ちたときに、わずかに一度だけ光がひらめいた。

炎は私の全てを燃やし尽くした。
もはや私にはなにもなく、……なぜか手に残るあたたかみも、ぼんやりと砂嵐の中に消えてゆく。

(20061002)

ひと月前の今日は、私にとってとても思い出深い日だった。忘れようも忘れたくもないのに、時が経つにつれて記憶の細部は失われていく。悲しくて切ない。

もう一度あの日々をやり直せるならどんなに幸福だろう。あの嵐のような日々。
曖昧な思い出しか残らないなんてつらいなあ。

私はまだ旅の余韻から抜け出せないでいる。いつかただの思い出になるのが悲しい。思い出なんてつまらない。現実の、確かな手触りの何かが欲しいのに。

好きシーンで創作30題 『12 後ろから抱き締める』  ロジャドロです。
*こちらからお借りしました → 好きシーンで創作30題
 
  
 遠く街のざわめきが微かに響いてきた気がした。背を向けて傍らに横たわる白い身体を求めて、私は暗闇に腕を伸ばし、彼女に身を寄せて鐘の音を数えた。外にはきっといたるところに祝福を交わしあう人々がいる。この閉じられた世界でも、人々は年の改まるこの祝祭を、ささやかな希望を込めて祝うのだろう。
 そして、これもまた祝祭のひとつの形なのかもしれない。暖められた寝室で、私は彼女の細い腰に腕をかけ、腹部に触れながら甘い香りの首筋に口づける。彼女は身じろぎせずに黙っていた。焼けつくような渇望が再び戻ってきて私の心臓を逸らせたが、敢えて目を閉じて抗った。
 ひと息に満たされる心と焦れるほどに満たされぬ心と、一体どちらがより幸福に近いのだろう。どちらがより永遠に近いのだろう。誰もが知りえぬ場所へ向かう私達の、未来とはなんなのだろう。この静かな夜は、とりとめのない問いばかりが行き過ぎる。
 腕に抱いた身体はただ白くぼうと闇に浮かび、どこか遠く記憶の海の果てから私のもとへ流れついたかのように不確かに思える。私は彼女の名を囁く。眠りを知らぬくせに眠った振りをして、私に答えない少女の名を。そうしてもう一度首元に口づける。
 彼女の方から、私の身体へとほんの少しだけ近づくのが感じ取れた。希望はいつも切なくはかない。それでも人は希望を持たずにはいられない。私は腕に力を込めて、新たな年への希望を胸に置いた。


短いですが、ビゴでロジャドロ。絶対に書かないだろうと思っていたものを書いてみました。心境の変化。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

旅の間に多くの人に出会った。嫌な人たちもいたが、大概はいい人たちばかりだった。

Nと言う人に会った。
3日間だけ同じホテルに泊まっていた。私の英語の発音を訂正してくれたが、最後まで私は正しく発音できなかった。私の大好きな曲をダウンロードして聞かせてくれた。一緒に冬の海に行って大騒ぎした。怖がりの私を驚かせて笑っていた。今まで色んなところに行った、その話をしてくれた。私が見たくて見れなかったお祭りの写真を見せてくれた。互いに相容れないひとつのことを討論した。私の過ちを知った時、私を叱って、それから逃げ道を教えてくれた。
旅をして記事を書くのが仕事、俺は旅が好きだし写真が好きだし書くのが好きだし、幸せだよと言っていた。これは俺のブログ、外国語だし君には読めないだろうけれど写真は見れるよ。
彼のブログを覗くと、通り過ぎてきた旅について書いてある。私と行ったあの海の写真もいつかブログに載るのだろうか。彼が今いる場所について、私はほんの少しの事柄しか知らない。彼はどこに行っても大丈夫だろうから心配はしない。いつか日本にもまた行くよ、そう言っていた。

ふたりのKに会った。ふたりはほぼ同姓同名で、自転車であちこち旅行していた。とにかく面白くて優しくて騒がしくて、あっという間に私たちは姉弟のように親しくなった。ずかずかと入り込んでくるが気がきくところもあり、それが気やすい家族のようで心地よかった。彼らの国の文化について、学んだことは多い。日本で言う「バカあほ間抜け」を自国の言葉で教えてくれた。
ひと月ここにいるよと言っておきながら、Nと一緒に出て行ってしまった。俺らはもう家族でしょ、次は日本か俺らの国でね。そうは言ってくれたがさびしくて引き止めてしまった。

Mはシニカルで優しい人だった。疲れてるのに頑張ってテンションを上げていくさびしんぼだった。一緒にサッカーを見に行って、彼のお気に入りのチームに熱くなって、みんなで歌いながらホテルに帰った。日曜日は一緒に食事の準備をした。私をこき下ろすかと思うと不意にほめてきたり、意地悪になりきれないいいやつだった。
幸せになって欲しいなあってほんとに思えるような人だった。

Fはホテルで働いている女性。たどたどしい現地の言葉で話す私に、いつも笑顔で優しく応じてくれた。最後の日には泣いている私に付き添っていてくれた。同年代なのに、まるで母親のようなおおらかな甘やかさがあった。
私は彼女に秘密を打ち明けたのだが、彼女はそれを秘密のままに保持してくれているだろうか。疑うわけではないのだが、私のためを思って暴露してしまうのではないかと恐れている。


ずっと私をとらえていた王の伝説の地を訪ねることが、この旅の目的のひとつだった。誰もが知る王の物語だ。私はその物語を、もともとの意味とはやや違う意味合いで考えていた。私なりの物語として焼き直していたわけだ。
彼の縁の地を訪れた後に、どう言えばいいのだろう、私は私なりの王の物語を体験することになった。
それは不可思議な体験だった。最初はそのことに気づかず、気づいたのは巻き込まれた後だった。
奇妙なことを書いているとわかっている。しかし、こうとしか書きようがない。

スピリチュアル的なもの、オカルト的なものを私は一切信じない。私が体験したものはひとつの出来事であり、それに付随するひとつの大きな偶然だ。まだ私はこの出来事を表現で出来ずにいる。


えーとそれから、この旅行で私はますますアメリカ人が苦手になりました。ええ、わかってます。偏見です。

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